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◆ 震災後初の仙台へ、いも煮をしに行く

何も被災しなかった東京の家で、勝手にひとりで壊れたり折れたりして右往左往してた半年間。今回、仙台の中学校で中学生にお話をするというお役目を仰せつかったので、この機会を借りて、仲の良い友だち2人を誘って、震災後初の仙台へ行ってきました。

もっと早く、もっといろんなところに行かなくちゃって思っていたけれど、自分自身が、到底そんな状態ではなく。彼の地へ赴けば、もっと盛大に自分が壊れて折れてしまいそうで。「自分なりにできること」としては、支援物資を送ったり、東京でのチャリティ活動を続けるのが精一杯だった。
ごめんね、こんなへたれな私で。

そんなへたれな私なのに、仙台の友だちはみんな、変わらずあったかかった。

武蔵野ちゃんたちが来て泊まっていくなら、その次の日に芋煮をしよう! って、Aちゃんが企画して声をかけたら、なんと広島や大阪から「仙台で芋煮がある!」って盛り上がって、最終的には大人も子どもも入れて40人近い人が集まる芋煮会になりました。

「あのさ、芋煮って、ただ鍋で芋にて食べて飲むだけの会だよ。そんなに珍しい? 多摩川でやっても同じなんじゃね?」

仙台の子たちにとって、芋煮って、それだけ当たり前にやってくる、季節の行事なのだそうです。だから、なんで飛行機に乗ってまで芋を煮に来る人が40人もいるんだ? って、びっくりらしい。
でもね、これは経験してみれば、それはそれはうまくて楽しい会なのだ。
だから、みんな、飛行機や新幹線に乗ってまで、やってくるんだ。

でも、それよりも、
なによりも
こうして、河原で芋を煮て、みんなで酒を飲んで、うまいな、と笑顔で再会できることがうれしくって、だから神様も、未曾有の台風を前日の夜までに、仙台から追いやってくれたんだと思う。


ってなことで、台風一過のいも煮会場。

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こっちのほうには、こんないも煮の場所があちこちにあるんだと。

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昔は、河原で薪を焚いて、材料も全部家や会社で用意して出かけたけど、今はこんな風に、材料も道具もセットで準備してくれるいも煮会場があるから、手ぶらで入っても大丈夫なんだって。

「いも煮はさ、福利厚生だから」 っていうHちゃんの発言に、なるほろと納得しつつ

当日は「仙台風」と「山形風」、そして子どもたち用のBBQをAちゃんがお願いしてくれていた。
こんな風になべにセットされて、渡される。

これは仙台風

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だいこん、にんじん、里芋、そして豚肉やごぼうに、味噌とねぎ。
こちらは山形風。

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こっちは牛肉に、里芋、玉こんにゃく、ごぼうにきのこ。そして味付けはしょうゆとさとう、塩。作り方の説明書も入ってきた。

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でけたのがこれ。
仙台風

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山形風。

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会場に常駐しているおいちゃんが、失敗しないように講釈つきで、手取り足取り手伝ってくれた。

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「山形は何もないところだから、こうして芋とこんにゃくしか入ってないけど、仙台のはいっぱい具が入るんだ−」「山形人は質素だから普段は牛肉なんて食べないけど、芋煮には入れるんだな。その理由はね。。。。」
ご当地仙台のおいちゃんは、仙台風びいきの講釈を続けてくれたけど、私のまわりでは山形風の減りが早かった>笑 ごめんねえ、おいちゃん。仙台のみんな。

というか、仙台風の味噌味は東京でよく作る豚汁によく煮ているから、ただ山形風のが珍しいってことなんだと思う。どっちもうまかった。
最後に持ち寄った牛肉だけで作った肉うどんがこりゃまた、うますぎるぐらいうまいのなんの。

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さらにこのあと、ここにカレールーが投入されてカレーうどんとなり、炭水化物好きの私としては、違う味のうどんを3種類食べたことになり、満足度この上ないいも煮会でありました。

飲んだ、食った、しゃべった。
川は台風で増水していたけど、晴れ渡った空を見てたら、なんか胸がいっぱいになっちまっただよ。


前日、中学校でお話をするのに、迎えに来てくれたAちゃんと、PTAのお母さんと学校まで車で行く間、Aちゃんたちの日常会話の中身は、「ここは全部埋まっちゃったところだから」「そこ、地震で隆起しちゃってはねるから気をつけて」「うちのマンション、やっと工事が始まるよ」「○ちゃんちは半壊、うちは全壊」。
そんな話が、今日の晩ご飯のおかず何にしよ? ってのと同じように普通に飛び交っていた。
取り壊しになって立て直し中の小学校の子どもたちは、あちこちの学校に学年別に振り分けられて通ってる。まだまだ、日常なんてどこにも戻ってないんだってことを、改めて教えられたよ。

去年来たときと、ほとんど何も変わらないように見えた仙台駅からの風景の中で、半年たっても、何一つ終わっていないみんなの日常を思うと、やっぱり、いつまでも、どこまでも、私にできることは小さく続けていかなくちゃ、って思う。


震災から半年。
何もかも変わってしまったけど、変わらずいも煮の季節は来て
この場所にいる子たちは、去年と変わらずいもを煮て酒を飲み
みんな優しくて、よく働く。
でもって、よく笑う。

震災後の支援チャリティで作ったてぬぐいの販売をはじめたら、彼女たちが大量にまとめ買いしてくれたのがわかって、びっくりしたんだっけ。被災地にいる子が最初にチャリティ品を買ってくれるなんて。

いも煮の当日に、たくさんの子がこのときの手ぬぐいを首に、頭に巻いてくれてて。そんな風景もなんだか、胸にしみじみ焼き付いた。いろんな思いがいっぱいになって、また肉うどんをおかわりして、焼酎飲んだ。

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私のまわりで、仙台に来て彼女たちと酒を飲んだ人はみな
仙台のファンになる。
ここは、そういう人たちのいる
そういう場所なんだと思う。
転勤で来て、そのままいついてしまう人も、とても多いんだって。

「ここは、お米も食べ物もおいしいし、ちょっと足を伸ばせば山も海もあって、とっても暮らしやすい場所だからだと思うよ。ああ、でもね。海はもうなくなっちゃったね。3月でね」

Aちゃんのご両親は、南相馬の避難区域に今も住んでいる。仙台の子たちの中には、今回の津波で親族を亡くした人もいる。
「海はなくなっちゃった」っていうAちゃんの言葉を心の引き出しに大切にしまって、それでも、到着した当日は、ずっと大好きだった駅前の立ち食いの北辰寿司と、駅前市場の地下の東屋では、たくさん海の幸を食べて、東北の酒を飲んだ。
立ち食いの北辰寿司が再開したのは2ヶ月前だったそうだ。

前日の台風で、在来線が止まっていたというのに、バスに2時間以上ゆられながら、夜、東屋まで来てくれた子たちもいた。東京から今頃遊びに来たってだけの、へたれの私に、こんな友だちがいてくれるってほんとに幸せなことだ、って思う。
ほんとに、いっぱい、いっぱいありがとう。

というわけで、いも煮はうまかった。そして、あったかかったです。
また、来月行きます。

でもって来月から、また、支援ユニットでちっちゃく活動再開しまーす。


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コメント

一緒に行けてよかった・・・ありがとう。

震災前も半年に一度のペースで訪れていた仙台。
最初に行った時から仙台の街と美味しいものにぞっこん。
何よりも仙台で迎えてくれた仲間たちのお酒の強さと
暖かいもてなしぶりがうれしかったなぁ。
だからこんなにも頻繁に行きたい街になったんだと思ってます。

6ヶ月以上たってしまったけど、
こうしてまたみんなの元気な笑顔に会えて本当によかった。

これからもちいさくでも何かできることを見つけて少しでも力になれたらいいね。
そしてまた一緒に仙台に行きましょう!
どうぞよろしくねーー。


kotoちゃん、今年も一緒にありがとー!
ほんと、また行けてよかった。みんなに会えてよかったねえええ。

ちいさく続けていく。
そしてまた仙台に行く。
残りの人生で、そんなことをまた一緒に、やっていけたらいいなあって思います。
これからもよろしくです!

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