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◆ 毎日同じメニューを食べるということ

大学に行くのに、毎朝お弁当を作って持っていきます。、、、、というと、日本でいつもみんなが作ってるようなもんを思い浮かべるかもしれませんが、持っていってるのはこんなもんです。

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この写真をとった日はちょい豪華でハムチーズサンド(ハンバーガーのバンズに挟んでる)ですが、週の半分ぐらいは6個400円ぐらいで売ってるクロワッサン2個。

あとは、こっちで調達したスープジャーにヨーグルトを入れて、ここに凍らしておいたバナナやパイナップルを放り込み、メープルシロップをだばっと入れたもの。これにシリアルをジップロックに小分けにして持っていき、入れて食べる。あとウーロン茶。

これをこんなバッグに入れて持っていく。

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こっちで8ドルぐらいで買った。もう毎日持ち歩いている。ちょいそこまで買い物行くときはココに財布と免許書だけいれたりして。
こちらで買ったものの中で、一番活躍しているかも>笑

で、お弁当に戻るんだけど、とにかくパンになんか挟んだもんと、飲み物と、フルーツ入りヨーグルトがあれば、本当に昼ごはんは十分だなあって思って過ごしています。
クロワッサンだけの時は、パワーが欲しいと思ったらウェンディズでチリを買う。もしくはチキンフィレというチキンのバーガーショップでフライドポテトを買う。いずれも1ドル70セントぐらい。それですっかり十分。

とても大事なポイントは

「毎日同じものの繰り返し」

ということ。

これがさあ。
本当にすごく調子がよいのよ。

まず作るのが楽。朝、何も考えなくていい。ただ同じものを作るだけだから。
そして買い物も楽。同じ物が欠品したら買い足すだけだから。
献立を考えるために、いわゆる脳みそが家事をしてしまうインナータイムが発生しない。

そしてわれながら意外だったのが、なにより食べるのが楽ということ。
毎回同じものが入ってるわけなので、まず心構えがいらない。夢中で勉強しているわけなので、昼になって「えっと今日は何を作ってきたんだっけ、何が入っているんだっけ」と我に帰ることもなく、「えー、なんかもっと軽いものがよかったなあ」とか「もうちょいボリュームあったらよかったなあ」なんて思うこともない。

蓋を開けたらいつも同じものが入っている。

この安定感といったら。

同じものを同じ量食べるから、食後の体調も精神状態も安定する。

日本にいたときに、毎日違うものを作らなければいけない、と思っていたのは、あれ、何だったんだろうなあ。


もちろん、夕ごはんは毎日ちょろりといろいろ変えて食べているんだけど、昼ごはんはほんと、決まったものの繰り返しで十分なんだなあと思っているこちらでの大学生活でした。




そして、まわりのESLの子たちもすっかりそういう感じなんす。
若い子は、自分で作ってくる子も多く。パンの間にハムとチーズを挟んで、ジップロックに入れただけというようなものをぱくついている。
もちろん、大学生だし一人で来てるわけだから、ママが作ってるわけじゃなくて、「自分で作ってきたよ」と男子もさらっと言いながら食べてます。

一緒にごはんを食べる子のランチの中身をちらりと見てみると、ベーグルにジャムやペースト塗っただけのものが、ジップロックから出てくる。それにコーヒーと果物(りんごが丸ごとぽろりと入っていたりとか)が入っていれば、なんだかそれで事足りてしまう。

以前、日本でお弁当の話になったとき、アメリカの子どものお弁当の状況はひどいよねえ、という話も出たのですが、まあ、クラッカーだけというのはあかんと思いつつ、ESLで各国から集まってきている人たちの食べているものというのは、いろいろおもろい気づきがあるように思います。

そして私自身も、こっちに来てこっちの食材で、こっちの暮らしの中でやってみると、あながち日本のお弁当を絶賛するのも何か違う気がするなあ、と思い始めています。

なんつかこう
日本の家庭のお弁当、

「やりすぎ」感 満載というか。


お弁当って世界に誇る日本の文化だし、世界がお弁当に注目しはじめているし、胸を張りたいと思うのだけれど

でも「文化」としてのお弁当(松花堂弁当みたいなものから始まり、日本のお弁当箱文化みたいなものは確かにすごい! と思う)とは別に、日常として毎日作るお弁当の中身については、ちょい違う視点で考えるようになってきました。

これはなんというか

視覚記憶

というものと大いに関連しているのではないか。


学校へ行く。隣の子の弁当を見る。きっちりきれいに詰まっている。そして、毎日メニューが変わる。
自分のを見る。なんだよこれ。と思う。かあちゃん(もしくはとうちゃん)に進言する。ほかのうちはもっと豪華だよー、うちの弁当茶色いよー。毎日同じじゃんー、と。

運動会に行く。まわりの家庭のお弁当を見る。ああ、はずかしいと思う。もっとちゃんと作らないとねえ、と考える。

書店に行く。雑誌の弁当特集や料理本を見る。こんなにいろいろバリエーションがあるんだから、いろいろメニュー変えて作らないとねえ、と思う。

まあ、文化というのはそういう視覚記憶で作られていくもんなんだとは思うけど、そういう「外から入ってくる視覚の記憶」が、人の行動にいろいろ作用しているってのはあるんじゃないかと思う。

考えてみたら、お弁当というのは「家庭の食卓」という閉じた場所で作られる食事が、外に向けて公開されるという機会なわけで。どうも、お弁当を「子どもたちの健康を考えて」とか「節約のために」作っていると考えてきたわけなんだけど、これはものすごく社会と関わっている場所なんだなあ、とこっちにきて改めて思うわけです。

作った相手の子どもだけではなく、その、なんだかようわからん「社会」に向けて弁当箱の蓋が開かれる、というところに、日本の弁当文化というのがあるような気がしてならない。

アメリカの食文化は壊れているので(笑)、アメリカ人のランチ事情がよいとは絶対思わないし、これを真似すればよいとも思わない。
でも、街中どこにいっても「こんなもんか」という食事にあふれていて(笑)、まわりが持ってくるランチも「こんなもんか」という風景に埋もれてみると、なんだかものすごく肩の力が抜けて、楽に、楽になっていく。

毎日同じでもぜんぜん気にならないし、逆にそのほうが調子がいい。
サンドイッチなんてきれいに切って詰める必要なし。どうせ食べちゃうんだから。
ビニール袋かワックスペーパーに入れて、袋に放り込めばよし。何か?

と。

私自身は食のバランスにはこだわっているし、なにより生来の食いしんぼだからおいしいものしか食べたくない。毎日ハンバーガーなんて生活は絶対いや。
それでも、こっちに来てから「ああ、なんか自分、いろいろやりすぎてたんだなあ」と思うことが、すごく多いのです。

ま、気候がまったく違うので、煮詰めたような惣菜を持ち歩きたくないというのもあるけど、何より細かい場所に豆5個だけ、卵焼き1個、プチトマト1個なんていう詰め方をする気に、もはや全くなれず>笑

やってたときは当たり前のようにやってたけど、あんな面倒なこと、よくやってたなあと遠い目で思ったりしています。

ほんと

弁当って自分や子どものためと思ってきたけど
弁当箱の蓋は社会に向かって開かれていたんだなあ。
しみじみ。

アメリカに来て、タフでなければやっていけないと思うことはたくさんあるけれど
家庭とか、子どもとか、家事とか、なんつか暮らしていくということについての気持ちの面では、なんだか無性に楽だなあと感じています。なんつかもう、いろんなことがアバウトなのよ。うん。

フランスも楽なんだけど、あそこは「個」としてのこだわりがものすごくある場所なので、誰かのこだわりや哲学みたいなものにぶち当たることが多く、それに慣れないとちょい面倒だなあと思うことがある。
でも、その分自分もこだわりを主張できるし、それが自分の存在価値になる面もあり。

それでいくと、日本は常に「社会」とか「集団」にたいして向き合っている場所なんだなあって改めて。「これをやったらどう思われるか」「他の人はどうしてるんだろう」「こんなもん持っていったら恥ずかしくないか」。
実際には誰かが意見したり、おかしいだろと指摘してくるわけでもないのに、「そういうもんじゃないのか」「こうしておかなくちゃあかんのではないのか」みたいなことを考えて、窮屈になっていたなあ、と思うわけです。

で、お門違いかもしれないが
「弁当」というのは、そうして社会や集団と強く結びついている習慣なわけで、そう気づくと、自分がこれまであまり、いわゆる「愛情弁当」みたいな世界が得意ではなかった理由がちょいわかった気もして。(いや、冷めたおかずと作りおきが嫌いというのもあるんだけどね)。

離れてみるといいところも変なところも見えてくる、とこっちに来る前に言われたとき、日本の食や弁当文化みたいなものは、本当にえらい! って思うな、きっと。。。。って思いながら来たんだけど、実際には、すごいなあと思う一方で、やりすぎじゃね? と気づくこともあり。

とりあえず弁当は毎日同じでまったく問題なし、ということだけはわかったこのごろでした。

あのさあ、スープジャーにヨーグルトただぶちこんで、冷凍した果物入れて持って行くとほんとにおいしいよー! 自画自賛。グラノーラやファイバーのシリアルもお忘れなく! 甘みはメープルシロップがおすすめ。

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コメント

百瀬さん、お元気そうで何より!
いつも楽しみに読んでます。

昭和の初めの頃の食卓って、特に朝ご飯とか、昼も? 粗食でしたよねぇ。
で、ほぼ毎日同じような。
栄養の偏りだのなんだと、今は情報が先行しているけど
普段は、旬のもので食べたいものをシンプルに食べていれば
そけでいいじゃない? と 思ったりします。
時には、うんと気合い入れたのも食べたいから
時にはそんな風にして。
ハレとケ めりはりつけていきたいですねぇ。

初めまして!
Twitterのリンクから飛んできました。
ジャーにフルーツヨーグルト、真似させていただきます。

>石橋さん

コメントありがとうございます。
日本は戦後にアメリカから栄養指導を受けて、そこから食事の内容が大きく変わったわけなんですが、その指導をした当のアメリカの食事というのはかなりいい加減なわけですよ。こっちきてさらに痛感するわけです。

それが日本で独自に変容をしてきたあたりが、とても興味深いわけです、私は。
そうなんです、第二次世界大戦以前はすごくシンプルなものの繰り返しだった@日本。それがどこかで複雑化しつつ、さまざまなメンタリティをはらんでいるわけで、食から見えてくる世界というのは本当に奥深くおもしろいです。

ハレとケ。使い分け大事ですよね。

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